上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
今日はいつもと趣向を変えて、少し過去の記憶を辿らせていただきます。

スポーツを観続けてきてかれこれ15年くらい経つでしょうか。スポーツの魅力に取りつかれた当時、僕はアメリカ、ボストン郊外に住んでいました。まず本格的に観るようになったのは、バスケのNBAだったような記憶があります。(ん~、たぶん…。)そもそも僕がスポーツの魅力にとりつかれた理由としては『個人』の力でした。バスケでいえば、僕の最初のスターはレジー・ミラー、アメフトはジョー・モンタナ(うんと小さい頃、わけもわからずでしたが…)、サッカーはロベルト・バッジョ、ベースボールはホセ・カンセコ モー・ボーン(Moも微妙かな。そういえば野球はいなかったかも…。野茂かな。)、といったところです。このような選手達は『個人』の能力が高く、まだ子供だった頃の僕は本気で彼らのようになる、彼らのように試合を決めれる選手になれる、と信じていたようです。(スポーツ選手はやっぱり夢を与える仕事なんですね☆)
そんな僕がスポーツを観ていて初めて『チーム』というものに魅了されたチームがあります。その頃の僕はまだ『チームワーク』というものは言葉でしかわからず、実際に目で見たり、体感するといったことはなかったのですが。その革命的な(僕にとっては) 魅力を僕に教えてくれたチームは94-95シーズンのNBAチャンピオンのヒューストン・ロケッツでした。

 Post Jordan-era
当時のロケッツはセンターのアキーム・オラジュワンを中心としたチームで、前年度(93-94)のチャンピオンでもありました。93-94年シーズンはといいますと、93年ファイナル後に1回目の引退をしたマイケル・ジョーダンの影響をまともに受けたシーズンでもありました。ポスト・ジョーダン・エラ(時代)として、NBA Finalsに名乗りを上げたのはジョーダンに苦しめられ(まくっ)ていたセンターのパトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスとオラジュワン率いるロケッツだったのです。その年はファイナルとしてはひさしぶりに7戦までもつれる大接戦の末、ロケッツが優勝したのです。
 Reunite
ところが、94-94シーズンに入るとディフェンディング・チャンピオンのロケッツはシーズン序盤から終盤近くまで低迷します。結局打開策として、オリジナル・ドリーム・チーム(92バルセロナ五輪)にも選出されたベテランのクライド・ドレクスラーをポートランド・トレイルブレイザーズから獲得します。(ドレクスラーは長年ブレイザーズ一筋でプレーしていましたが、もう長くない現役生活を考え、この年、タイトル・コンテンダーのチームへのトレードを志願。ブレイザーズもそれを容認し、シーズン途中でロケッツへと移籍したのです。)ドレクスラーにとって幸運だったのはトレード先に大学時代のチームメイト、オラジュワンがいたことでしょう。(それもなんとヒューストン大学出身!)その後、ドレクスラーが難なくチームに溶け込めたのも手伝って、ロケッツはなんとか6位(47勝35敗)でプレーオフへ滑り込みます。
 The Underdog
そして迎えたプレーオフ。ロケッツはシーズン中の成績が振るわず、ホーム・コート・アドバンテージはなし。周囲の注目もシーズン終盤に現役復帰したマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに集まっていました。そして優勝候補として声が上がるのもその年MVPに選ばれたデービッド・ロビンソン率いるサンアントニオ・スパーズ(ウェスタン・カンファレンス1位)や、ホームで圧倒的な強さを誇る若き日のシャックことシャキール・オニール率いるオーランド・マジック(イースタン・カンファレンス1位)らでした。前年度チャンピオンのロケッツの名前を出す人は全くといっていいほどいない状態だったのです。
 Long Kiss Good-night
そうして始まったプレーオフ1回戦では成績ではカンファレンス2位(60勝!)のユタ・ジャズとの対戦。2勝1敗と王手をかけられ、いきなり崖っぷちに追い込まれます。ところが、ここからロケッツは粘り第5戦アウェーの中、なんとか勝利をもぎ取り1回戦を突破します。直後、「これでディフェンディング・チャンピオンとしての面目はなんとか保った」かのようなニュースが流れます。
2回戦(カンファレンス・セミファイナル)へ進んだロケッツに対し、以前周囲の声はロケッツ断然不利だったのです。2回戦の相手はチャールズ・バークリー、ケビン・ジョンソンらが率いる実力と経験のあるフェニックス・サンズ(59勝!)。ロケッツは初戦、2戦と大敗し、第3戦は勝利を上げるも、第4戦も落としてしまい、1勝3敗と1回戦よりさらに崖っぷちに追い込まれてしまいます。誰しもが次のカンファレンス・ファイナルではサンズ対スパーズになるだろうと確信していました。ところが第5戦、敵地での延長戦を劇的な勝利でなんとか敗退から逃れます。続く第6戦ホームでも勝利。これでロケッツは波に乗りました。ところが、サンズも3勝1敗からやすやすと逆転負けを食らうほど軟弱なチームではありません。続く第7戦は敵地フェニックスで。試合は接戦になります。そして110-110で迎えた第4Q残り22秒ロケッツのボールインから試合再開。ボールをもらったロバート・オーリーは逆サイドのマリオ・エリーへと長いパスを送ります。コートのコーナーで待ち受けていたエリーはそこでスリーポイント・シュート。そのボールは高い弧を描き、リングに吸い込まれていきました。貴重なシュートを決めたエリーがそこで観客席に向かって投げキッスを送ったシーンはあまりに有名です。結局これが決め手となり、ロケッツは1勝3敗からの逆転勝利を収めたのでした。
 The Dream
これで完全に波に乗ったロケッツはカンファレンス・ファイナルでスパーズとの対戦になりました。スパーズはこのシーズンNBAで最も多くの勝利を上げ(62勝!!)、文句なしのMVP受賞となったセンターのロビンソンを中心としたバランスの取れたチームでした。しかしこのカンファレンス・ファイナル、シーズンMVP男が独り占めすると思われていた主役の座をさらったのは、他でもないそのロビンソンのマッチアップの相手アキーム"ザ・ドリーム"オラジュワンだったのです。オラジュワンはこのシリーズ、MVPロビンソンをまるで子供と遊んであげているかのように(これマジよ。ほんとに子供扱いだった。後にも先にもあそこまで個人に差が見られるなんてことはないと思うくらい。) ロビンソンを扱ったのです。結果もロケッツが敵地で2勝。もはや全米のメディアがオラジュワンとロケッツに注目するようになったのです。その後ロケッツはホームで連敗するものの、サンアントニオに戻った第5戦、再びオラジュワンの活躍でスパーズを圧倒、主導権を取り戻したのです。結局第6戦でもスパーズはオラジュワンを止める術を全く見つけられず、ロケッツが4勝2敗でスパーズを下し、2年連続のNBAファイナルへと駒を進めたのです。
 The CLUTCH City
ファイナルで待ち受けていたのはシャック率いる若いオーランド・マジック(57勝!)でした。ほとんどの選手が初のファイナルではありましたが、それでも下馬評ではマジック有利。ホームで絶対的な強さを誇るマジックがホーム・コート・アドバンテージを持っていたからです。そしてオーランドで行われた第1戦、全てはこの試合にかかっていました。
試合は両者のモメンタムが行き交う激戦となり、終盤までもつれます。しかし、残り11秒を切ったところでホームのマジックが絶対的有利な立場に立ちます。マジック3点のリードでさらにマジックのガード、ニック・アンダーソンに2本のフリースローが与えられたのです。ここで1本でもアンダーソンが決めれば、試合は2ポゼション差となりマジックの勝利がほぼ決定となります。アンダーソンは70%を超える確立でFTを決める選手ですから、普段ならこれで試合終了です。ところが1本目を外したアンダーソンは2本目も外すのです。ロケッツとしては九死に一生を得る結果に。リバウンドを取ってスリーポイントを決めれば同点に追いつけるのです。しかし、リングに弾かれたボールをロケッツの選手が見方同士で競ってしまい、そのボールは無情にも再びアンダーソンの腕の中へおさまってしまったのです。万事休すとはこういう時の言葉だったのでは。ロケッツはたまらずまたアンダーソンへファウル。そしてアンダーソンはまたしてもFTを打ち、試合を決定付けるチャンスを得たのです。
ところが、先の2本で自信を失ったアンダーソンはまたしても1本目を外してしまいます。そしてホームの観衆も「まさか…」という雰囲気になり、アンダーソンにかかるプレッシャーはさらに大きくなります。そして連続した4本目のFT…、三度あることは四度起こるのです。アンダーソンは4本連続で失敗してしまったのです。今度はロケッツがしっかりリバウンドを取り、かかさずタイムアウト。ロケッツとしては九死に一生をものの数分で二度も味わったわけです。が、それでも必ずスリーを決めなければいけないという厳しい状況に変わりはありません。もちろんマジックとしてもスリーだけは警戒するD♯をしかけてくるわけです。そして迎えたタイムアウト明け、ロケッツのガード、ケニー・スミスがドリブルから一人をかわし、1回フェイクを入れてからスリーを打ちます。マジックのガード、アンファニー・ハーダウェイもタイミングをずらされながらも必死で手を伸ばします。しかし、手は届かず。そしてボールはリングの中へと入っていったのです。スミスはこの数分間まるで何事もなかったかのように冷静に同点スリーを決めたのでした。
 It's just 2 easy
結局第1戦はその後オーバータイムへ突入。ドラマはOTでも再び(三度…?)起きます。同点のままロケッツは最後シュートを打つチャンスを得ます。しかし、最後のドレクスラーのシュートはあとわずかでリングに嫌われ試合は再延長かと思われたその時、外れたシュートをオラジュワンがタップして決めたのです。そして試合は終了。第1戦は様々なドラマの末、ロケッツが120-118で勝ったのです。
結局第1戦を致命的(歴史的)なミスで落とした若いマジックのチームはその後立ち直ることができませんでした。逆にロケッツは出てくる選手の一人ひとりがその長所を満遍なく発揮し、マジックを圧倒したのです。結果は4勝0敗のスウィープ。最後の最後までアンダードッグとされてきたロケッツが2年連続のNBAチャンピオンに輝いたのです。
 As a TEAM
大学時代にナイジェリアから渡ってきたアキーム・オラジュワンを中心に、ベテランの味をいかんなく発揮したケニー・スミス、NBAに入るために海外でもプレーをしていた"スーパー"マリオ・エリー、新人時代からチームに活気を与え続けた2年目のサム・キャセール、チャンピオンチームには欠かせない役割を必ず果たすロバート・オーリー、チーム全体のモチベーションを上げ、いつでも勝利に貢献したクライド"ザ・グライド"ドレクスラー、その他のメンバー全員が文字通り一つになって戦っていた94-95シーズンのヒューストン・ロケッツでした。誰か一人でも欠けていたら連覇はなされなかったことでしょう。一生忘れることのない『チーム』だと思います。(オラジュワンとドレクスラーは大学時代出来なかったことがやっと達成できたんですね。それもまたドラマなり。)
 
 One thing to say...
最後に、95年のファイナルを終えた直後のロケッツのHC、ルディ・トムヤノビッチの名言を。
あの年は誰もロケッツが優勝するとは思っていませんでした。プレーオフが始まる前も、始まってからも、そして最後の最後までロケッツは本命扱いはされませんでした。もちろん監督や選手達もそのことはいやというほどわかっていました。トムヤノビッチ監督は優勝を決めた直後にそういったロケッツの強さを信じていなかった人にこんなセリフを言ったのです―
  “Don't ever underestimate the heart of a champion!!
こうして94-95シーズンは幕を閉じたのでした。


う~ん、ひっっっじょ~に長くなってしまいましたね(苦笑)ちょっと我ながら書いている間に思い出しながら熱くなってしまいました。最後まで読んで下さった方がいるのかどうか…。いささか不安ではありますが、もしいたとしたら心からありがとうございましたと言いたいです。少し思い出に浸り過ぎたFuckyでした。(結局最後のトムヤノビッチのセリフが書きたかっただけかも…。)
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。